・ROCKS・
ロックとの出会い
<1984〜88頃>
★カルチャー・クラブとの出会い
中学生だった私はまずボーイ・ジョージのルックスに衝撃を受けた。化粧にも劣らぬ個性的な
言動、自由な考え方、バイセクシャルであることなども、とても刺激的かつ魅力的であった。
もちろん音楽も好きだった。ブラック・ミュージックやグラム・ロック、レゲエ等をミックス
してポップに仕上げた曲調に、独特の歌声に魅了される。
★洋楽との出会い=80年代まっしぐら
高校生の頃は、スタイル・カウンシル、スウィング・アウト・シスター、シンプリー・
レッド、スクリッティ・ポリッティ、ペット・ショップ・ボーイズあたりを愛聴。
いかにもロックっぽいものは好みでなかった(!)が、再結成後エアロや、ガンズの登場なんか
はリアルタイムで知っていた。惜しい…。
<1988頃〜1997>
★私的停滞期
ニルヴァーナ、ガンズ等が活躍し出し、逆にニュー・ロマンティックと呼ばれた人達が落ち目
になった頃、私は音楽から一時期離れてしまう。
ろくにアルバムも買わなかった頃に愛聴した貴重な1枚(というか3枚組)は、
「ブギの女王・笠置シヅ子」である。これは今でも宝物。
この迷走の時期に、何故か甲斐バンドにはまる。
<1997〜1998>
★ザ・イエロー・モンキーとの出会い
友人が送ってくれたオリジナル・カセットテープに1曲だけ、彼等の曲「Tactics」が入って
いた。私は邦楽には昔から疎く、ザ・イエロー・モンキーの事は知ってはいたが、ちゃんと曲を
聴いたことがなかったのだ。それまで、曲は「歌もの」つまりヴォーカルばかり意識して聴いて
いたのに、この時初めてドラム・ベース・ギター・そしてヴォーカルのバランス、絶妙な絡み合
いの魅力に引き込まれた。歌詞も色っぽくて私好み。
その後彼等のCDを買いあさったところ、ザ・イエロー・モンキーの持つ「日本歌謡の世界」に
自分との共通項を見いだす。また、70年代風の長髪や色気に満ちたファッション、それに
バンドのメンバー間の絆の深さにたちまち魅了される。初めて見た彼等のライブは、野外の
でかい会場だったが、観客のノリの良さと、会場に負けないバンドの華やかさと気配りが印象的
だった。
★70年代洋楽と日本歌謡
ザ・イエロー・モンキー・ファンが必ず通る道だ。エアロスミス、キッス、デヴィッド・
ボウイ、チープ・トリック、クイーン、T-REXを借りてみた。エアロスミスはうるさくてやはり
苦手だな〜と思った、この時は。懐かしの歌謡曲は、新聞広告に出ていた12枚組CDなんて
買ってしまった。ふふふ。
★ニュー・ルーディーズ・クラブとの出会い
ザ・イエロー・モンキーのギタリスト、エマの連載インタビューが載っているのがきっかけで
読み始めた雑誌。最初に手にしたのは17号ガンズ特集だ。この時のエマのインタビューに出て
きた話は、よりによって「太陽にほえろ」だのフィンガー5だののナツメロモード。その上、
キッスの自家製下敷きを学校に持参している女子高生の投稿や、地球中ライブを追っかけて
回っているお方のエッセイ、嵐のフジ・ロック・フェスティバルのザ・イエロー・モンキーの
レポートと、私向けの内容。即バックナンバーを注文した。
この雑誌からの影響は計り知れない。ガンズ、ストーンズ、ツェッペリン、ニルヴァーナ、
クラッシュ、キンクス、フー、ピストルズ、マディ・ウォータース、ロバート・ジョンスン、
パティ・スミス、クラフトワーク、ニッキー・ホプキンス、ベルベット・アンダーグランド、
シーナ&ザ・ロケッツ、ウィルコ・ジョンソン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、U2、
モトリー・クルー、ジミヘン、ハイ・スタンダード、パルプ、マニック・ストリート・プリー
チャーズ、パール・ジャム、忌野清志郎…他にもいろいろだ。単なるガイドではなく、「私はこの
アーティストが好きなのだ」とか「こんなに悩んでいたときに出会って以来、ファンなのだ」等
あくまで個人の正直な気持ちが根源になっている雑誌だから面白いのだ。笑える実体験レポも
あれば、かなり本格的な、切実な、あるいは貴重な話もあるのである。
私のヘボ投稿は、20号(エアロスミス)、25号クラッシュ特集(フジ・ロック)、27号
ボウイ特集(エアロスミス)に載っています。お手持ちの方は読んでみてもいいかも…。
★エアロスミスとの出会い
最初こそ「うるさいなあ」と思ったエアロだが、それは突然やってきた。アルバム《パーマネ
ント・ヴァケーション》は、猫の鳴き声で始まる。さらにサウンドチェックめいたギターの音、
ドラムに続いてスティーヴンの「ワキャキャキャキャ〜!!」で一気に曲へとなだれこむ、
まさにジェット・コースター状態だ!気が付けば爆音で聴きつつ、すっかりライブ会場にいる
気分に浸っていた。
「イキそうで、イキそうで、でもイカない」「繰り返し波のように訪れるある感覚、昇りつめて
いる快楽」とは当時ニュー・ルーディーズ・クラブ編集部にいた佐藤陸さんがエアロについて書
いた文章の一部だが、なんてうまく彼等を言い当てているのだろう。自分の意志とは関係なく、
突然やって来て、この上ない快楽と興奮を与えて置いて、あともう少しというところで「まだ、
もっと」とじらしまくる。とどまるところなく、まさしく常に「昇りつめている」あの感じ。私
は、あっと言う間にエアロスミス・マジックの虜になってしまったのだった。
エアロ初体験の《ナイン・ライブス》ツアーも、いきなりやって来た。しかも2列目ジョー・
ペリーのど真ん前。膝が震え、涙して、「ジョーだ〜」「エアロだ〜」とただ呟くしかなかった
私。あの迫力は、一体何!?わけが分からないままライブは終了。頭はぶっ飛んだまま、翌日に
は東京公演のチケットを手に入れていた…。東京ドームはさすがにスタンド端のくそ席だったけど、
ステージ全体が見渡せて、よかった。公演の後、泊めてくれた友人も、偶然エアロにはまっていて、
不思議な縁もあるもんだねえ、としみじみ語り合ったのが忘れられない。
★フジ・ロック・フェスティバルとの出会い
97年、記念すべき第1回目のフジ・ロックは、ザ・イエロー・モンキーが出るというので
知っていた程度だった。ロック・リハビリ状態だったから、わざわざ富士山まで出かけていく気
にはならなかったのである。それが、台風に見舞われて「嵐のフェス」と化そうとは。泥だらけ
の会場や、毛布にくるまって凍える観客、雨の中客の熱気で上がる湯気といった壮絶な写真・レポで
この時の音楽雑誌は埋め尽くされた。何だこれは!?と大いにロック魂をゆすぶられ、来年こそ
行くぞ、と固く誓ったのであった。
98年は単独参加を果たす。開催地は東京の上、晴天に恵まれ、拍子抜けするほど楽だった。
木陰がなくて暑く、日焼けもしたけどね。ただの野外イベントではない、本物のロック・フェス。
そんなもの、今までろくに知りもしなかったのだから、ただひたすら楽しかった。この年は本格的
というより試験的なフェスだったけど、その精神は十分に「フェス」で、ロックしていたと、私は
思う。ただしベン・フォールズ・ファイヴが出演していたのに見逃し(当時はファンでは
なかった)、個人的には反省点が…。
自然の中にキャンプを張り、幾つもあるステージには大物アーティストからアマチュア・バンド
までが登場する。映画、サーカス、ダンス・テント、マーケットに非営利団体のテント。かぶり
つきでダイヴするも良し、高台で寝ころんで鑑賞するも、贅沢に昼寝を決め込むのも自由だ。
欧米では馴染みのこのスタイルに、かなり近づけたと思えるのが99年、苗場でのフジ・ロック
だった。
★インターネットとの出会い
98年のフジ・ロック開催と時を同じくして、インターネットを始めた。アナログ人間の私
はかなりパソコンに偏見を抱いていたのだが、掲示板でフジ・ロックの打ち上げに参加したり
イエローモンキーのチケットを譲ってもらったりと、さっそく駆使しまくる。要するにコミュニ
ケーションの手段なのだから、その先にあるのは人との出会い・つながりであって、アナログか
否かなんてどうでもいいことなのだ。それに音楽にネットは不可欠である。ライブ・チェック、
追っかけ旅行の諸準備、売り切れチケットや輸入盤CDの入手、また歌詞、曲、アーティストの
コメントやファンのレアな目撃談などをHPから手に入れる事も可能だ。ネットを始めていなかった
ら、こんなにロックにはまってはいなかっただろうな、と私は思うのだ。
<1999>
★ベン・フォールズ・ファイヴとの出会い
最近の私の好みからして、彼等を好きになるとは思わなんだ。ギラギラの衣裳に長髪のアー
ティストに比べて、ベンちゃんったら!頭なんかうっすらしてるし(泣)、Tシャツ姿で、歌う歌は
〈金返せ〉。ただ、曲調はむしろ元々の私の好みだ。エアロスミスを好きになった方がなんか
謎のような気がしてくる(?)。
アルバム《ラインホールド・メスナーの肖像》が出た頃で、CD屋でどかどかと売り出されている
のを見て興味はあったのだが、どんなバンドか良く知らなかった(98年のフジ・ロックに出て
いたということもすっかり忘れていた…)。するとイエローモンキーのエマさんが、たまたま
最近聴く曲の中にBF5を挙げていた。それで私はケチケチと、まずは2ndアルバムをレンタル
してみたのだった。聴いてみたら、私の好みにぴったり!しかも歌詞も面白い。やっと他のアル
バムも集めにかかった頃に来日。最初は「ファンなのだ〜」と断言できるほどではなかったため、
発売日を過ぎてからチケットを購入、一番後ろのブロックになってしまう。
日毎に愛が増していき、付け焼き刃のファンながら、ライブ前日はかなり盛り上がっていた。
が、その晩、エアロスミス来日の詳細情報が入り、せっかくのBF5初ライブはちょっとエアロ
ぼけが入ってしまった。しかもその日は会場のノリも良くなかった。こういうことがあると後で
悔いそうなので、残る公演を追っかけようとするが、タイミングが合わず断念。
しかしその反動はデカかった。ちょうど勤めていた書店が閉店して休みが取れた他条件が重
なり、イギリス公演を見に行ってしまったのだった。BF5を見るためだけに行ったわけではなかっ
たはずが、実質は毎日移動とライブだけ、観光なんてろくに出来なかった。でも行って良かった。
すっげー楽しかったな。
<2000>
★ギャズ・メイオール、トロージャンズとの出会い
フジ・ロック・フェス’00。その前夜祭で、盆踊りのために組まれた櫓で、ハッピを着て
〈りんご追分け〉を演奏していた謎のスカ・バンド。それが私が初めて見たトロージャンズだっ
た。何しろ個性的なメンバー構成に、ギャズは黒のつばのある帽子と赤いハッピが異様に似合っ
ていて、怪しい羽根飾りのついた杖を振り回し、ごきげんで客をのせまくる様はインパクトが
あった。スチャ、スチャと小気味よいスカをベースに、飛び出す曲は世界の民謡や日本の演歌な
ど、耳慣れたものばかり。メロディカ、バグパイプ、サックスの味付けは絶妙で、ブルージィで
ありつつ郷愁をくすぐる心憎さだ。
その時はバンドの名前も知らずに終わってしまったのだが、その後出かけたレッド・マーキー
(ダンス・テント)で、またまた現れたのが、ギャズだった。古いR&Bなどを、古びたドーナツ
盤のノイズをぶちぶち言わせながらかけて(後で思えばあれは貴重なオリジナル盤)、次の曲に
移る時は、つなぎも何もない。曲間に「次の曲はすごくいいんだぜ、めちゃめちゃ好きなシング
ルなんだ!!」みたいなことをハイ・テンションで言って次のドーナツ盤をセットする。DJとい
うより、なんかアナログ盤マニアの部屋に遊びに行った気分になる。ステージから降りて、客と
握手して回るギャズの人なつっこさとサービス精神はひしひしと伝わって来て、どうにも気にな
り始める。
そして2日目のホワイト・ステージで、あらためてトロージャンズのライブを目撃。楽曲は
オーセンティックなのに、心底楽しそうに演奏するもんだから、つられて踊りまくってしまっ
た。メンバー間の仲も和気あいあいという感じで、サックスのルディとメグミ、パーカッション
のナティ、バグパイプのショーンなどは、音楽的にも、見た目も、かなり印象的だった。
さらには大岩の上に寝そべっているギャズや、キルト姿でうろうろしているメンバーに出くわ
し、嫌でも親近感が湧いて、最終日のレッド・マーキーでのライブは、時間前にスタンバイして
前の方で参戦するハマリようとなってしまった。
それだけだったら「フジ・ロックの思い出」で終わっていたかも知れない。しかし、ちょっと
ネットでオフィシャルかファン・サイトで略歴を調べようと思ったのに、総合的なサイトが見あ
たらない。日本におけるスカ・シーンに多大な影響を与えた人物だけに、あちこちで名前は出て
くるのだが、詳しいことが分からない。さらにCDを買おうとしても、なかなか店に置いていなく
て、ネット通販を数枚申し込んだら品切れの返事。こうなると、燃えてしまうじゃないか??結
局コンピレーションの《スカ・アイランド》とビデオ《Ska Explosion》を購入、何点かアルバ
ムを海外通販(内2枚はすぐ発送された!)。それと、たまたまレンタル・ショップにあった
《Spirit Of Adventure》を入手。この初期のCDとビデオは、面白かった。何しろメンバー構
成が随分違う。バグパイプの代わりに、ヴァイオリンが入っていた時のだ。やはり曲の傾向が
ちょっと違っていて、興味深かった。ネットでは、花房浩一氏のサイトを発見したことが一番の
収穫であった。ギャズの友人でもある氏のサイトには、ギャズ情報がてんこもりである。大体、
最初に得たトロージャンズ情報=《Red India》のライナーノーツで、それを書いたのが花房氏
なんだから、かなわない。
かくして、トロージャンズ結成からこれまでの大体の流れはつかめたが、まだまだ詳細が謎の
ままである。調べれば調べるほど、ギャズとトロージャンズに興味が湧いてきた。そして、オー
ダー待ちと海外通販で、CDを集める覚悟に至った次第である。CDがある程度揃い、またライブ
も経験した頃、とりあえず立ち上げている怪しげなHPのトロージャンズ・コーナーを充実させた
いと思っている。そしてもちろん、ロンドンに行った際には、彼のクラブに立ち寄りたいと思
う。それから、彼を取り巻く音楽も、少しずつ聴いていきたいと思う次第だ。←02年、
ロンドンのギャズのクラブに行くことが出来ました〜◎
<2001〜2002>
★ジョー・ストラマーとの出会い
初めてライブを目撃したのは2000年だが、本格的に惚れたのはこの年。ジョー・ストラマー&
ザ・メスカレロスの二枚目のアルバム『Global A Go Go』が非常にいい出来だった。レゲエとか
クンビアとかケルト音楽といった、ジョーのルーツや趣味を追求した、いい感じに肩の力が抜けた
アルバムだった。旧知のバイオリン弾き・タイモンが加入したバンドを従えてのライブはとても
暖かくて、私は心底ジョーに惚れ込んでしまった。02年の夏には彼の庭ともいえるグラストン
バリー・フェスに行き、キャンプファイヤーの側で楽しそうに飲んでいるジョーに遭遇。その
すぐ後のフジ・ロック・フェスティバルでも、グラストそのままにキャンプファイヤーを楽しむ
ジョーの姿があった。「クラッシュ」のジョー・ストラマーじゃなくて、ただのジョー。クラッシュ
の音楽も、メスカレロスの音楽も好きだけれど、それとは別にあのジョーという「おっちゃん」の
幸せそうな表情が忘れられない。このわずか数カ月後に、あっけなく急逝してしまったジョー。
いまだに信じられないけれど、本当に出会えてよかったと思う。
★アイリッシュ・ミュージックとの出会い
若い世代が復興させたアイルランドの伝統音楽とでもいうのだろうか。ルナサ、アルタン、シャロン・
シャノン等々。トロージャンズの初期メンバー、ジョニー・Tの、バイオリンというよりはフィドルと
呼びたくなる軽妙な演奏に心惹かれてフィドルに興味を持ち、そこからケルト音楽に入って、アイ
リッシュにたどり着いたという感じ。女性ボーカルがきれいなしっとりした曲もあるけど、テンポの
いいダンス・ミュージックも多い。伝統音楽といっても、ルナサは前衛的で非常に面白い音を聞かせ
てくれる。ブルーグラス、カントリーに通じるものもあれば、スコットランド、ヨーロッパの音楽と
融合したようなものもあって、奥が深い。これからいろいろ聴いていこうと思う。
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